私が音楽の場を作ることを夢みたのは高校生の頃、そのときは生演奏が聞ける喫茶店でした。姉も妹もプロの弦楽器奏者の道を進み、私は一人別の道に、それでもアマチュアとしてオーケストラ、室内楽、弦楽四重奏でとヴァイオリンを弾き続け、そして数年前からは、姉とともにザ・芸者ストリングス・カルテットでクラシック音楽界の閉塞性をなんとかしよう(つまり身近に弦楽四重奏の響きを感じてもらおう)と活動を始めました。私はマネージャ兼プロモータ兼、、、です。妹も巻き込みました。
そうしてまもなくICHIBOKAKU瑠庵で定期的に演奏させていただく機会を得ました。前から少し那須という地に関心を寄せ、一時期(バブルの頃)は別荘などと頭によぎったときもあって、ますますこの那須が私の中で大きな割合を占めるようになって、そして、那須の人々の人柄に触れて、よし、移り住むなら那須だと思うようになりました。
頃合を見計らっているうちに、主人ともども本職のIT関連の仕事が長くなり、また東京の生活も長くなって、血のかよった人間らしさや四季折々の自然がこのままずっと感じられないのかと、ついに移住を決意。親も呼び寄せての二世帯住宅にして、そして念願の音楽ホール建築を決めました。
音楽ホールの図面から始めて1年がかり。その間、お世話になった工務店さん、そして様々な人々のおかげで、こうして弦楽亭完成を迎えることができました。感無量です。高校生からの夢が、実現しました。
那須への引っ越しと音楽ホール完成までの詳細な奮闘記を、5話に分けて以下に掲載しています。